2008-12 月-24 10:53:00
コーヒーセレモニー <エチオピア、ジンカ>
ジンカで仲良くなった家族の家にお邪魔した。
エチオピアではお客が来たらお茶ではなくコーヒーが振る舞われ、その儀式はコーヒーセレモニーと呼ばれる。
日本の茶道のようなものだ。
この家庭でコーヒーセレモニーを行ってくれた。
コーヒー豆をフライパンで煎るところから始まり、煎った豆を臼と杵ですりつぶす。
水とすり潰した豆をポットに入れて、炭で起こした火の上に乗せる。
これだけでも1時間ぐらいが経過した。
待つ事が楽しい。
コーヒーを作ってくれているお婆さんとは言葉が通じないので、笑顔でコミュニケーションをとった。
彼女の動作をじっと見つめていると、笑顔で答えてくれる。
俺も笑顔で返す。
笑顔は世界共通のコミュニケーション方法だ。
ようやく火からポットを離し、コーヒーをカップに注いでくれた。
エチオピアではコーヒーを砂糖だけでなく、バターや塩を入れて飲む。
このときに入れてくれたコーヒーも塩コーヒーだった。
美味しい。
機械でなく臼と杵ですり潰した豆が舌の上で少しざらついている。
しょっぱい塩がこの素朴なコーヒーの味を引き立てている。
「美味しい」という言葉がわからないので、また笑顔でお婆さんの顔見る。
言いたい事が伝わったのか、彼女は笑顔で頷いてくれた。
彼等の生活は質素だ。冷蔵庫もないしテレビもない。医療の程度も低い。
彼等の生活は先進国の人々から見れば貧しいと思えるかもしれない。
しかし、彼等は幸せだ。
先進国の人々よりも物も金も持ってないが、幸せなのには変わりない。自分達を貧しいとも思っていない。
"貧しい"という基準はどこからくるのだろう。
知り合ったばかりの旅人を家に迎え、1時間もかけてコーヒーを作ってくれるほど彼等の心は豊かだ。
都会に住む人々はそれ以上に豊かな心を持ちあわせているのだろうか。
エチオピアの奥地に住む誇り高い部族も、慎ましく暮らす心豊かな人々も、
彼等の生活が発展するのは避けられない運命だとしても、
物質でもっと大きな幸せが訪れると勘違いするような発展の仕方だけはしないで欲しいと心から思う。