2008-9 月-19 21:02:57
今まで聴いた事のないリズム 動画 <イエメン、マナハ>
今まで生きてきて一度も聴いた事のないリズム。
イエメンのシバームと呼ばれる街を訪れた。
高層のイエメン建築が断崖絶壁に立つ。
シバームの街の階段を駆け上がる少女。
このぐらいの年齢ではまだ好きな服を着てもいいが、
大人になると顔を含めた全身を黒いアバヤと言うイスラム服で覆い隠さないといけない。
ロバを使ってシバームの険しい道を行く少年。
バイクや車の入れない街中ではロバが主要な交通手段だ。
シバーム以外にも断崖絶壁に立っている街がたくさんある。
徒歩かロバに乗ってしか入れない。
街と言うよりも、城と言った方が近い。
敵からの攻撃を受けにくいように、こうした絶壁に家を建てるようになったらしい。
ある街の前で見張りをしていたオッサン。
良く見ると右肩に旧ソ連の銃であるカラシニコフがかかっている。
未だにイエメンでは内戦が後を絶たないのだ。戦国時代と言っていい。
ジャンビアと呼ばれる剣を懐に差しているのも、いつでも戦えるというイエメン男性の勇気と誇りを表している。
また、昔は結婚式で祝砲のためにカラシニコフを空に向かって撃つ習慣がこの地域にはあった。
しかし、数年前にアラブのリッチな男性とこの地域の女性との結婚式で、
銃の扱いに慣れていないアラブの花婿がカラシニコフを撃とうとした。
その時、目の前に居た新婦の兄と屋上に居た新婦の親戚を2人撃ち殺してしまった。
その時からカラシニコフの変わりに爆竹を使って結婚を祝福するようになったという。
男達はそれでもカラシニコフを携帯する事を辞めない。
自分達の家族を守る為に今のイエメンでは銃が必要なのだ。
サナアで結婚式に参加する事ができた。
どんな時でも結婚式には幸せな空気が流れている。この結婚式でも暖かい祝福の空気が流れ、参加している人はみんな幸せそうだった。
新郎の顔を見ているだけで、自分も大切なものをわけてもらった気がする。
新郎が式の会場まで行く直前までは激しい雨が降っていたが、彼が外に出たとたんに嘘のように空に晴れ間が差し、まぶしい光が降り注がれた。
それはまるで空も新郎を祝福しているかのようだった。
ジャンビアダンスを踊って新郎を祝福する人達も楽しそうだ。
ちなみに、イスラムでは男性は4人の女性と結婚出来る一夫多妻制だが、実際には経済的な理由からも殆どの男性は1人の女性としか結婚しない。
また、イエメンでは厳格にイスラムの教えを守るので、結婚の相手は家族が決める。
そして、新郎と新婦は会って話をするどころか、お互いに顔さえも見た事が無い。
結婚式も別々に行われ、新郎のために行われる男性のみが参加する結婚式と新婦のために行われる女性のみが参加する結婚式がある。
そのため、結婚式の時点でも新郎は新婦の顔を知らない。会った事もない。
会った事も見た事も無い人と結婚して幸せに暮らせるのだろうかとイスラムで無い人は思ってしまうだろう。
イエメン人に聞いた事がある。「一度も会った事がない人と愛しあえるのか。」と。
彼は言う。
「自分の家族が決めた人に間違いはない。」
「それに、」と彼は付け加えた。
「イスラムでは愛は結婚してから始まるんだ。」
一緒に暮らす前からどうして愛を育む事が出来るんだという事らしい。深い。
イスラムでない人から見れば、イスラムの結婚観は想像しにくいかもしれない。
しかし、国の情勢や信じるものの違いはあるが、世界中どこの国でも人の幸せのカタチは同じだ。
自分の家庭を築き、皆で話して笑い、一緒に食事をするという幸せのカタチは地球上のどこに住んでいようと変わらないのだ。
サナアの旧市街を歩いていると、皺だらけの年老いたお婆ちゃんが道の端に座り、道行く人に手を差し出してお金を求めていた。
ポケットを探ってみると5リアルのコインがあったので、日に焼けて黒ずんだ彼女の手の中にいれた。
するとお婆ちゃんが凄い剣幕で怒りだした。
アラビア語は全くわからないが、婆ちゃんの言っている事はニュアンスでわかる。
「5リアルじゃお茶も飲めないよ!くそったれ!もうちょっとマシなお金をだしたらどうだい!」
と、まくしたてながらシワシワの手を勢い良く突き出してきた。
わかった。わかったよ。
もう1度ポケットを探り、入っていた20リアルのコインを手渡した。
イエメンでは20リアルが一番大きなコインだ。
しかし、お婆ちゃんの怒りは全く収まらない。
「は?20リアル?こんなんで食事が出来ると思っているのかい?もっと出せ、くそったれ!」
ゴメン。ゴメン。それしか無いから許してくれ。
今までに見た事の無い切れ芸の物乞いお婆ちゃんに25リアルを渡したあげくに怒られてしまった。
イスラム教には喜捨(ザカート)と呼ばれる「貧しいものに施さなくてはいけない」という教えがある。
年収だったら2.5%など、細かく数字まで決められている。
その教えでは、お金を持っている人がお金を渡すのは神であるアッラーに対してで、貧しい者はアッラーを通してお金を受け取った事になる。
貧しい者はアッラーから受け取っているので、お金を渡す人には感謝する必要はない。お金を渡す人もアッラーに渡しているので感謝を求めない。
お金持ちでもない普通の女性が一番高価なお札を道路で寝転んでいる泥まみれの老人の手の中に詰め込んでいるのを見たことがある。
アメリカだったら一番高価なお札は100ドルだ。100ドルを貧しいホームレスの手の中に詰め込む人はいないだろう。
しかし、イスラムの世界ではごく普通の事なのだ。
老女が怒ったのは、神(アッラー)に対するザカートが少なかったからかもしれない。
しかし、数ヶ月のイスラム世界での滞在で、ザカートが少ないと怒っている人を見たのはそれっきりだった。
ある日、サナアの街を歩いていると1台のタクシーが目の前で停まり、乗っていた女の子が大きく手を振ってきた。
手を振って答えていると、運転していたドライバーが「乗って。乗って」とジェスチャーをしている。
少し迷ったが、そのタクシーに乗りこんだ。
後ろに乗っていた子供達はドライバーの子供らしい。
「パパ、パパ」とドライバーの男性を呼んでいた。
言葉はわからないが、ジェスチャーで「サナアを案内しようか?」と言っているのがわかった。
特にやる事もなかったので、喜んで案内してもらう事にした。
街中から少し離れたモスクを周って、オールドタウンの中をドライブしてくれた。
ドライブしている間、ずっと子供達は後ろの席ではしゃいでいた。
やっぱりイエメンの子供は写真を撮られるのが好きらしい。
デジカメで何枚も写真を撮ってあげては、見せてあげると喜んだ。
しかし案内してもらっている途中で、ふと「もしかしたら、この車はタクシーだからお金払わないとダメかもな。。。」と思い始めた。
家族が乗っているとはいえ、タクシーで案内されたらお金を払うのが筋だろう。
1時間ほどサナアの街を案内してもらって、もと居た場所に戻ってきた。
お金を払った方がいいだろうと思い、先に300リアル(約150円)ほど用意しておいた。
まぁ、サナアを1時間ほど案内してもらったら妥当な額だと思う。
降りる時に男性にお金を渡そうとすると、「いや、いいんだよ。」と絶対にお金を受け取ろうとしない。
お金を要求されるかもと思った自分が少し恥ずかしくなった。そして、イエメン人の優しさに心を打たれた。
人に何かをしてあげる、もしくは何かをしてあげたいという気持ちはどの時代でも普遍的で美しい。
都会の生活の中で心の余裕を無くし、人に何かをしてあげる事が出来なくなったとき、人間はまた1つ、目に見えない大切なものを失うのだ。
イエメンはアラブ諸国の中でも、独自の文化を守り続けている国だ。
大人も子供もジャンビアと呼ばれる剣を腰に巻いたベルトの前にさしている。
戦いのために使う事はもう無いが、イエメン男性の勇気と誇りをジャンビアで表している。
それはまるで、日本の江戸時代に侍が刀をさして歩いていたのと似ている気がした。
オールドタウンでプラムを売っていた少年もジャンビアをさしていた。
サナアの近郊にある街ワディダハルでは、毎週金曜日になるとジャンビアダンスと呼ばれる伝統ダンスを踊るために人が集まっていた。
踊る大人達を見て、子供も一生懸命に真似をしていた。
どの世界でも子供達は大人にあこがれ、真似をして大きくなるものだ。
真似したい、もしくは真似出来る大人が居る国は幸せだと思う。
資本主義の国で大人をリスペクトしない子供が増えたのは、子供が悪いわけではない。
お金を稼ぐ事にかまけて、リスペクト出来る人間になることを忘れていた大人に責任があるはずだ。
イスラム教の教えのせいかもしれないが、イエメンでは子供が大人の言うことをよく聞いていた。